父の国オーストラリアを訪ねて
〜オーストラリア訪問報告〜常務理事 大森邦子
2006年10月9日から15日まで、呉の混血児たちと一緒に彼らの父の国オーストラリアを訪ねました。軍港があった呉には終戦後、英連邦関係の進駐軍が駐留しました。多くはオーストラリア兵でした。そして、日本人女性との間に子どもが生まれました。呉では婚姻したカップルも多かったのですが、オーストラリアが10年間白豪主義を取ったため、日本人との結婚を認めませんでした。それ故多くの母子が呉市に残されました。その子ども達は戦後、差別や偏見から、大変苦しい思いで生活をしておりました。また、多くの母親は収入が低く、生活保護を受ける人も多くありました。
そんな中で、オーストラリアから日本に派遣された、トニ・グリーン神父がその状況を本国にレポートし、それを知ったオーストラリア政府とファーガソン氏は多額の寄付を呉の子ども達のために送金してくださいました。そのお陰で、多くの子ども達は命をつなぐことができ、学校に行くこともできました。
今回、呉から12名、東京から2名がメルボルンに向かいました。
10月10日には、ISSオーストラリアが歓待してくださり、メルボルンでのホテル代や食事代はすべてISSオーストラリアが負担をしてくださいました。ISSオーストラリアの尽力で、オーストラリア人実父が、母と自分を呼び寄せようと努力をしていた手紙などのコピーを入手できた参加者もいましたた。
10月11日には、今回のメインイベントであるファーガソン氏のお墓参りができました。薔薇が満開の美しい墓所でファーガソン氏のお嬢様(80歳代)が用意してくださった花輪を備え、お礼を述べることができました。皆、涙、涙で、取材に来ていたテレビ局の人たちも感動をしておりました。後日そのテレビを見た人がISSオーストラリアに、自分の父親が呉にいた時子どもが生まれたと聞いていたので、その子ども(兄弟姉妹)を探して欲しいとの依頼がいくつか入りました。さらに墓所の集会場で用意して下さった海苔巻きとクッキー、飲み物を頂きながら、思い出話をすることができました。その後移民の子どもが多く通う小学校を訪問し、見学の後日本語を習っている子ども達とお給食を一緒に頂きました。日本のラジオ体操も子ども達と一緒にやりました。
ファーガソン氏のお墓のある建物の前で
12日はメルボルンからシドニーに移動しました。移動前に大森は、ISSオーストラリアでケースについての打ち合わせを行いました。新任の常務理事にもはじめてお会いし、引き続きケースの協力確認を致しました。メルボルンにおける宿泊費から食事代まですべてISSオーストラリアにお世話になりましたので、お礼を申しましたが、彼らは私たちの喜びです。よく子ども達を連れてきてくれましたと、逆に感謝されました。メルボルンからシドニーに行く途中に父親の出身地が見つかった参加者は、ハミルトン夫妻の好意でそこを訪ねながらシドニーに移動しました。
シドニー空港には豪日協会のマクリントック氏が出迎えてくださり、すぐに、一人の父親の出身地を回りました。シドニーで最高に美しいといわれるバンダイビーチです。思い出に砂を少し持ち帰りました(入管には内緒ですが)。その後マクリントック氏の自宅(オペラハウスを真正面に見るシドニーで最高級地に立つお家)で歓迎パーティを開いていただき、その後それぞれにホームステイのためホストファミリーに引き取られていきました。
翌日13日はマクリントック氏がシドニー湾のクルージングに連れて行ってくださいました。全員もう日本には帰りたくないというほど、美しい景色とビーチの散策を楽しみました。その後それぞれがホストファミリーとの時間を過ごしました。ジャーナリストのハミルトン氏が、ホストファミリーのいないISSJスタッフの大森と小沢をコアラパークに連れて行ってくださいました。コアラを抱っこし、ウオンバットを見(寝ていたので黒い塊が見えただけですが)、ワラビーと遊び、カンガルーに餌をやって2時間楽しく過ごしました。
14日は豪日協会の総会があり、そこで、ハミルトン氏が呉の日豪混血の子ども達を紹介、そして何故呉に子ども達が残されたか、更にその子ども達がどんな生活を強いられたかなどを説明しました。話を聞きながら、自分の幼い頃のことや母親の苦労を思い出して、辛いと泣き出す者もいました。
その後昼食会に招待され、協会の人々と共に歓談の時を持ちました。その会場に、呉の子どもを最初にオーストラリアに紹介したトニ・グリーン神父の弟であるパウロ・グリーン神父が来てくださいました。パウロ・グリーン神父は「オーストラリア政府の間違った政策のために呉の子ども達には大変辛い思いをさせました。ごめんなさい」と頭を下げられ、お互いに戦争は二度と決してしてはならないことを確認いたしました。
5年後に自分たちでお金を貯めてまた行こうと誓い合ったことでした。幼い頃外見の違いから差別された辛い思い出を持つ子ども達にとって、オーストラリアで受け入れてもらえるかどうか不安の中での旅立ちでしたが、温かい歓迎の波の中で、自分たちが受け入れられた嬉しさ、そしてその機会がISSJによってもたらされたことへの感謝の言葉を、シドニー空港で伝えてくれました。
このプログラムを実行するようにと寄付してくださいました杉丸様に厚く御礼申し上げますとともにこの活動に対する皆様の温かいご理解とご協力に感謝を申し上げます。