一人の子どもをめぐるISSJの援助活動
−ISSJのフィリピンケースより−

 


「僕は日本で生まれたのに、日本語しかわからないのに、どうして日本人ではないのだろうか?」こうつぶやくYは、ISSJとの出会いがなかったらどうなっていたでしょうか。あるいはISSJが援助を途中でギブアップしてしまったら、どうなっていくのでしょうか。つくづく考えさせられた事です。


日本と日本以外の国が関わりながら、Yにとって最も大切な基本的な身分事項(国籍、在留資格など)を取得するまで生後4ヶ月から12歳の今日まで、実に12年間かかりました。Yの健全な育成のためにISSJの担当ソーシャルワーカーは、本当に些細なものであってもありとあらゆる可能性を試み、その間常にYに寄り添い、Yも不安な日々をソーシャルワーカーの愛情に支えられてやっと一つの光が見えてきました。


Yは同棲中の20歳の日本人を父とし、27歳のフィリピン人を母として1991年5月29日日本で出生しました。 しかし生後4ヶ月のとき実母は突然姿を消してしまいました。若い実父は乳飲み子を抱え途方にくれて兄弟に相談し、1992年2月20日に出生届けを役所に提出しました。しかし養育困難を理由に最寄りの児童相談所に相談をし、乳児院に預けました。そして1995年実父は認知届を提出しました。しかし実父と実母は婚姻関係にないので、Yは日本国籍を取得できません。児童相談所から国際養子縁組が考えられないかということで連絡を受けたISSJでは、すぐに担当のソーシャルワーカーを決め、早速状況調査を始め、この子どもの処遇について児童相談所の児童福祉司と協力しながらその可能性をいろいろと検討しました。


Yの役所への出生届提出
児童相談所はYを乳児院に措置すると同時に外国人登録をしました。しかしこれだけではYの国籍取得にはなりません。よく人々が間違えるのですが、外国人登録に〇〇〇国籍と書かれているので、それだけで国籍取得が出来たと思ってしまうのです。でも国籍はその人の帰属する本国政府しか与えることが出来ません。日本政府があなたはフィリピン国籍ですよとかアメリカ国籍ですよというように決めることは出来ないのです。日本の役所に届けただけではYはまだ国籍取得が出来ず、無国籍状態でした。 そして児童相談所からISSJに相談援助への協力依頼がありました。


Yをフィリピンへ送還することを考えた時期
ISSJではフィリピン大使館へYの出生届手続をするために、実母探しを始めました。日本国内ではフィリピンの人々がよく読む新聞や雑誌に実母探しの広告を出すと共に、フィリピン政府社会福祉開発省(DSWD―Department of Social Welfare and Development、以下DSWDとする)に実母の調査を依頼しました。日本国内では実母の情報は得られませんでした。DSWDでは早速フィリピン国で実母の調査をしましたが、実母の存在は不明でしたが、フィリピン政府はYにフィリピン国籍を与えました。しかしフィリピンに帰国しても施設で養育されることになるとのことなので、本国への送還よりも、里親あるいは養子縁組の道を考えることにしました。


里子・里親あるいは養子縁組の可能性を探り、試みた時期
児童相談所を通じて里子・里親の可能性を探りましたが、なかなか里親さんとのめぐり合いがなく、国際養子縁組の道を探ることになりました。すでにYはその時5歳でした。フィリピン国籍で超過滞在となると強制送還の対象になります。そこでYの身分を安定させるために特別 在留許可の申請を入国管理局にしました。そんな時一組の養親候補者がみつかりました。Yの持つ問題を了解の上で引き受けたいということでした。そこでISSJのソーシャルワーカーは児童相談所に、Yの年齢から養親候補者の居住地近くの養護施設に移送して、週末のみならず毎日でも面 会してYと養親が一緒にいる時間が作れるようにしてほしいと依頼しましたが、児童相談所の機構の問題でしょうかそれは出来ませんでした。しばらく夏休みや冬休み中に養親と共にすごす方法から始めましたが1年に2回では施設での生活と家庭生活の違いにうまく適応できず、数回の試みの後養親から辞退の申し入れがありました。


再びYと実父との関わりの構築と帰化申請を試みた時期
本国送還も養子縁組も困難になったので、このままでは子どもが不法滞在という環境のまま成人してしまいます。ISSJのソーシャルワーカーはYを引き取って養育する意志がない実父に根気よく働きかけ、成人して施設を出なければならなくなった時、日本で生きていくための条件が十分ではないことを伝え、協力を依頼しました。熱心なソーシャルワーカーと実父との間には次第に信頼関係が芽生え、度々音信不通 になっていた実父は、Yの環境が整うまで協力することを約束しました。そこでYの帰化申請をし、最近帰化申請が受け付けられました。


国籍が異なりしかも正式の婚姻ではないカップルから生まれたという状況からYとISSJとの関わりが始まり、このケースのように実母が行方不明という悪条件の重なりの中で、Yへの援助の手が次々と断たれていく中、日本人の実父が、ISSJのソーシャルワーカーとの信頼関係の中で子どもの幸せのためにと考えるようになり、協力をして帰化申請受け付けまでこぎつけたということは、実親が例え養育できなくても子ども対する一つの責任を果 たすことで、子どもに安定を与えるということになります。


Yのような環境の子供が多く日本で生活をしています。ISSJは国際化する日本社会の中で取り残された人権問題として早くからこの問題を提起してきました。少子化高齢社会の日本にあって、未来を担う子ども達の健全育成は、ますます重要な課題となっています。そのような状況の中で、今に生きる大人達が、身の回りにいる子どもの幸せだけでなく、ISSJが子どもの最善の利益を目指して取り組んでいる様々な人権擁護活動にもご理解、ご支援いただきたいと願っています。