2001年に起こったアメリカの同時多発テロ以降、アフガニスタンの状況が日本のテレビや新聞で報道されることが多くなり、メディアを通
して国内外のアフガニスタン人難民の状況を知る機会も増えました。ISSJでは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から委託され、日本に逃れてきた難民・難民申請者の生活援助やカウンセリングを行っています。今回はそのような難民ひとり一人と向き合いながら援助を行っているソーシャルワーカーの現場から見える、日本国内におけるアフガニスタン人難民申請者の現状をお伝えします。
あるアフガニスタン人の男性はハザラ族という少数民族に属し、20代後半。幼い頃に旧ソ連がアフガニスタンに侵攻するまでは家族で小さなアーモンド畑とりんご畑で働きながら平和に暮らしていたといいます。旧ソ連がアフガニスタンから撤退すると民族間の権力争いが激しくなり、強奪や殺人が多くなりました。ハザラ族も民族の戦闘グループを持ち、各家庭は男子を一人そのグループに参加させないといけないことになりました。拒めば、家族の腕を切り落とされたり、多額のお金を払わされたそうです。彼の兄たちは人殺しを行うことを拒み、グループへの入隊を拒否し家を出た後、行方不明となりました。別
の兄は家族を守るため戦闘に参加し、1ヵ月後に戦死しました。いよいよ彼の番となりましたが、両親はこれ以上息子たちの命を無駄
にしたくないということで、彼は逃げることにしました。アフガニスタンの山中に隠れているうちに戦闘グループが彼を追っているということを知り、隣国のパキスタンへ逃れました。ここでもハザラ族の彼は多数民族のパシュトゥン人から敵視され、身の危険を感じたため、ブローカーにお金を払って日本へ逃れてきました。彼がアフガニスタンを出てからしばらくして母親が亡くなったということを人づてに聞いたといいます。
日本に来た彼は、難民申請を行いましたが、結果は不許可。再申請しましたが、また却下されました。却下された理由は知らされていません。現在、難民認定不許可処分取り消しの訴訟中ですが、すでに強制退去命令が出ており入管に収容されています。彼は「私は今まで何も悪いことをしていない。生きるために逃れてきただけなのに、なぜ自分を犯罪者のように檻の中にいれるのか。自分には人権がないのか。」と、ソーシャルワーカーに訴えています。
難民条約批准を20年前に行った国として、日本に来日した難民の人々に対して寛大な人道上の配慮がされることを願ってやみません。
[UNHCR助成事業]
