インドシナ難民への援助
ISSJでは政府とUNHCRからインドシナ難民の日本定住化促進を図る事業を委嘱され、1970年代終わりから1980年代にかけて生活適応援助を行いました。日本各地に住むボランティアを組織・研修して難民に定住相談を行い、様々な面
から彼らをサポートしました。相談内容は職業、日本語、子どもの保育・学校、住居、家族の問題等、多岐にわたり、それ以外にも日本語教室の開催や学資金援助、国際移民委員会の基金の返済に関する相談にも応じ、また未成年の難民の里親委託も援助しました。今でもインドシナ難民への相談援助は続いており、定住者の老齢化問題、経済的不安、世代間の軋轢等、その相談内容は時間の経過と共に変化がみられます。
現在の難民援助
現在も世界のいろいろな国から日本に庇護を求めて亡命してくる難民がおり、日本政府への難民申請の数はこの5年の間に約1000人になります。ISSJが相談援助している在日難民および難民申請者の出身国は、アフガニスタン、カメルーン、エチオピア、イラン、パキスタン、スリランカ、ミャンマ?、トルコなど20カ国近くに及びます。難民申請をした人は難民条約(下記参照)の定義にのっとって法務省による審査が行われますが、結果
がでるまでに何年もかかることもあり、申請者はその間経済的にも、精神的にも大変不安定な状況での生活を強いられます。ISSJではUNHCRから国内難民・難民申請者のカウンセリングと生活適応援助を依頼されており、具体的には住居探し、職探し等を手伝うほか、生活上のあらゆる相談にのっています。最近では子連れの女性の難民申請者が増加傾向にあり、出産、保育、就学等の相談援助も行っています。限られた社会資源の中での援助には多くの困難があり、現場のソーシャルワーカーは難民および難民申請者が日本社会で生きる上での厳しさ・難しさを日々痛感しています。
他の機関との連携
日本における難民申請者および難民への支援には、複数の団体・機関が関わっている場合がほとんどであり、よりよい援助を行い、支援体制を強化するには他機関との協力が必要不可欠です。そのため、ISSJは他機関との協力関係の構築・維持にも力を注いでいます。
1994年、NGO間、およびNGOとUNHCRとの協力作りのための連絡会議が世界的に始まり、パリナック(Partnership
in Action = PARinAC)と名付けられました。日本でもパリナック・ジャパンフォーラムが1996年より開始され、現在も月1回の会合を中心に国内・外で難民を支援するNGOの多くの参加を得て運営されています。また、2000年1月には日本国内の難民保護に関する分科会(国内難民支援部会:Working
Group on Refugee Assistance in Japan = RAJA)も発足し、月1回の定例会を実施しています。ISSJは当初よりパリナック・ジャパンフォーラムに参加しており、現在もRAJAのメンバーとして国内の難民申請者および難民へのよりよい支援のために他のNGOやUNHCRとの連携を深めながら、難民申請者のための生活ハンドブック作成等の活動を行っています。
これ以外の他機関との会合には、法務省や外務省からの参加もある日本福音ルーテル社団が開催する難民協力懇談会もあり、ISSJはこの懇談会にも当初から参加しています。
*難民条約とは*
難民に関する国際的取り決めには1951年に国連で決議された「難民の地位に関する条約」と1967年の「難民の地位
に関する議定書」があります。通常はこの2つを合わせて「難民条約」と呼んでおり、現在141カ国がこの条約の当事国となっています。日本も1981年に条約当事国となりました。難民条約第一条には「難民は、人種・宗教・国籍もしくは特定の社会集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるか、そのおそれがあるため国外におり、国籍国の保護を受けられない者またはそれを望まない者」とされています。 |
事例1
: インドシナ難民
1979年の秋、タイの難民キャンプに逃れていたベトナム青年のAは、日本にいる元留学生の兄の呼び寄せにより、日本での定住が認められ、家族と一緒に成田空港に到着しました。定住促進センターでの3ヵ月間の日本語教育課程において、Aは優秀な成績を修めました。母国にて大学2年まで教育を受けていたAは、日本でも勉強を続けたいと願い、里親家庭に入ることを希望しました。ISSJでは、難民事業本部からAの希望をかなえてくれる里親を探して欲しいと依頼を受け、里親を希望する日本人夫妻の家庭調査を実施しました。
ISSJでは、家庭調査段階を里親に対する里子受け入れの大切な準備期間としてとらえ、里親の相談に応じながら、精神的な支援を合わせて行いました。翌年の4月から、Aは日本人夫妻の家庭で生活を始め、日本語学校の大学受験コースに通
学しながら、国公立大学を目指して勉強に励みました。里親となった日本人夫妻には、大学生の息子がおり、自らが子どもを育ててきた経験を基に、日本での言葉、食事、生活習慣の違いに戸惑っていたAを温かく迎え入れ、精神的、経済的両面
において支援を続けてくれました。ISSJでは、この里親家庭を必要に応じて訪問し、相談に携わってきました。
事例2
: 個別難民
東南アジアの国において反政府運動に携わったBは、政府当局からの拷問、迫害を逃れ、庇護を求めて単身で日本にやってきました。空港での入国審査で、正規のビザを所持していなかったBは、入国管理センターに収容され、そこで日本政府に対し難民申請を行いました。
1年間の収容生活を経て、仮放免の措置を受けたBに対し、ISSJでは、難民事業本部への支援金の申請を勧め、住居を探す手伝いをしました。現在Bは、難民事業本部から生活費と住居費の援助を受けながら、外国人のゲストハウスで生活をしています。難民事業本部での支援金支給期間は原則として4ヵ月です。支援金の支給がまもなく打ち切りとなるBは、自活の道を模索していますが、在留資格をもたない外国人が働き口を見つけるのは大変難しいことです。難民認定手続には長い年月がかかりますが、この認定を待つ期間、難民申請者は社会保障、公的扶助といった行政サービスを十分に受けることは出来ません。
母国の家族、友人とも離れ離れとなり、連絡を取ることもできないBは、孤独と戦いながら不安な毎日を過ごしています。こうした難民申請者たちを精神的に支援するためのカウンセリングもISSJの重要な業務となっています。
事例3
: 母子難民
難民申請中の中東アジア出身の母子は、近郊のアパートで生活を送っています。この母親は来日してまもなく、日本語が全く出来ないため、仕事を見つけることが出来ません。同じく難民申請中である夫は、入国管理センターに収監されていて、まだ仮放免のめどは立っていません。子どもが就学年齢に達したため、ISSJでは学校長と連絡を取り、就学に向けての援助を行いました。家族そろって日本で難民申請を行うケースは増加傾向にあり、子どもの保育や就学、母親の就労問題など、生活全般
にわたる支援の必要性も増しています。

